「余の辞書に不可能の文字はない」
この言葉を、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが残したとされる、あまりにも有名な名言です。
どんな困難にも屈せず、不可能を可能にする。
そんな英雄の強い意志を象徴する言葉として、今日まで語り継がれてきました。
しかし、ここで一つの疑問が生まれます。
ナポレオンは、本当に「余の辞書に不可能の文字はない」と語ったのでしょうか?
実は、歴史資料に残された本人の言葉は、私たちが知る名言とは少し違っていました。
そして、その言葉をたどっていくと、19世紀のフランスから明治時代の日本へとつながる、意外な歴史が見えてくるのです。
ナポレオンの名言は本当に存在したのか?
ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)は、フランス革命後の混乱の中で頭角を現し、1804年に皇帝となった人物です。
数々の戦いで勝利を重ね、ヨーロッパの歴史を大きく動かしました。
そんなナポレオンの名言として知られるのが、
「余の辞書に不可能の文字はない」
という言葉です。
ところが、ナポレオンの書簡に残されたフランス語の文章には、「辞書」を意味する dictionnaire という単語が登場しません。
では、本人は実際に何と書いていたのでしょうか。
1813年、ナポレオンが残した本当の言葉
1813年7月9日。
ナポレオンは、ドイツのマグデブルクを任されていたルマロワ将軍に書簡を送りました。
その中に、次の一節が記されています。
Ce n’est pas possible, m’écrivez-vous ; cela n’est pas français.
日本語に訳すと、
「それは不可能だと君は書いてきた。しかし、そのような言い方はフランス的ではない」
という意味になります。
ここで注目したいのは、ナポレオンが「不可能という言葉は存在しない」と述べたわけではないことです。
彼は、部下から送られてきた「不可能だ」という返答そのものを批判していました。
この言葉は、後にフランスで広く知られるようになった、
Impossible n’est pas français.
「不可能という言葉はフランス語ではない」
という格言につながるものと考えられています。
しかし、私たちが知っている「余の辞書」という表現とは、やはり違います。
では、そもそもナポレオンは、なぜこのような言葉を部下に送ったのでしょうか。
名言が生まれた意外な理由――不足していたのは馬の食料
この書簡が書かれた1813年、ナポレオンは大きな困難に直面していました。
前年のロシア遠征でフランス軍は甚大な損失を受け、ヨーロッパではナポレオンに対抗する諸国の動きが強まっていました。
そんな状況で送られた、ルマロワ将軍への書簡。
その内容を読むと、意外な事実がわかります。
問題になっていたのは、軍馬に与える燕麦(えんばく)の輸送だったのです。

ナポレオンは、マグデブルクに大量の燕麦が備蓄されていることを指摘し、食料不足に苦しむ近衛隊の馬のため、燕麦を積んだ船を直ちに2隻出すよう命じていました。
将軍からの「不可能だ」という返答に、ナポレオンは不満を示していたのです。
つまり、この有名な言葉の背景にあったのは、華々しい戦場で兵士たちを鼓舞する演説ではありませんでした。
戦争を継続するために必要な物資を、何としてでも確保しようとする指揮官の命令だったのです。
この事実を知ると、名言の印象が少し変わってきませんか?
「不可能を可能にする英雄の言葉」というだけでなく、厳しい状況でも任務の遂行を求める、ナポレオンの強烈な意志が見えてきます。
同時に、その要求が現場の将軍にとってどれほど厳しいものだったのかも、考えさせられます。
明治時代の日本に登場した「不可能」と「辞書」
それでは、日本で有名になった「余の辞書」という表現は、どこから来たのでしょうか。
ここで、興味深い資料が登場します。
明治時代の日本で広く読まれた、**『西国立志編(さいごくりっしへん)』**です。
この本は、イギリスの作家サミュエル・スマイルズが著した『Self-Help(自助論)』を、啓蒙思想家の中村正直が翻訳したものです。
1871年(明治4年)から刊行され、明治初期の日本人に大きな影響を与えました。

山口県文書館が公開する資料によると、この『西国立志編』には、ナポレオンの格言として次の言葉が紹介されています。
「不能ト云フ字ハ愚人ノ字書ニ見ユルノミ」
現代の言葉に直せば、
「不可能という言葉は、愚かな人の辞書にだけ見られる」
という意味になります。
ここには、はっきりと「字書」、つまり辞書という表現が登場しています。
ただし、これは「余の辞書に不可能の文字はない」とまったく同じ言葉ではありません。
また、この記述だけで、現在の日本語の名言が『西国立志編』から直接生まれたと断定することもできません。
それでも、少なくとも明治初期の日本で、ナポレオンと「不可能」「辞書」を結びつけた言葉が紹介されていたことは、非常に興味深い事実です。
なぜ「余の辞書に不可能の文字はない」になったのか?
ここまでの資料を整理すると、三つの異なる表現が見えてきます。
① ナポレオンの1813年の書簡
「不可能だと君は書いてきた。しかし、それはフランス的ではない」
② 明治時代の『西国立志編』
「不可能という言葉は、愚かな人の辞書にだけ見られる」
③ 現在の日本で知られる名言
「余の辞書に不可能の文字はない」
どれも「不可能」という言葉を否定的に扱っていますが、意味や表現には違いがあります。
最初の言葉は、部下の返答を批判したもの。
二つ目は、不可能だと決めつける人間の姿勢を戒めるもの。
そして三つ目は、自分自身の強い意志と自信を示す言葉として受け取られています。
こうして比べると、同じ人物に結びつけられた言葉であっても、伝わり方によって印象が変わることがわかります。
ただし、これら三つの表現がどのような順序や経路で結びつき、現在の日本語になったのかは、明確に確認できていません。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された調査事例でも、「余の辞書に不可能の文字はない」という表現の出典を確定できる資料は見つかっていないと報告されています。
つまり、現在の名言がいつ、誰によって、この形に整えられたのかは、なお調査の余地が残されているのです。
英雄の言葉は、時代を越えて姿を変える
ナポレオンは、数々の勝利を重ねた英雄である一方、ロシア遠征の失敗やワーテルローの敗北を経験した人物でもあります。
彼の人生は、決して成功だけで彩られていたわけではありません。
だからこそ、「不可能」という言葉を拒もうとする姿勢は、後世の人々に強い印象を残したのでしょう。
ただし、1813年の書簡に記された言葉と、現在の日本語の名言を、完全に同じものとして扱うことはできません。
そこには、翻訳や意訳、後世の解釈が重なっている可能性があります。
歴史上の人物が残した言葉は、その人物の生きた時代だけでなく、言葉を受け取った人々の価値観によっても姿を変えていくのかもしれません。
そして、私たちが当たり前のように知っている名言の中にも、まだ知られていない歴史が隠されているのです。
調べて見えてきた、もう一つのナポレオン像
私がナポレオンに抱いていたのは、戦場で大軍を率い、優れた戦略によって勝利をつかむ指揮官というイメージでした。
そのため、「余の辞書に不可能の文字はない」という言葉も、戦場で困難に立ち向かう際に発せられたものだと思っていました。
しかし、今回その背景を調べると、軍馬の飼料をめぐる物資調達の問題が関係していたことを知り、驚きました。
さらに意外だったのは、最高指揮官であるナポレオンが、こうした軍の補給に関する実務的な問題にも目を向け、部下の報告に直接言及していたことです。
私の中では、華々しい戦場での英雄という印象が強かっただけに、軍隊を維持するための細かな問題にも関わる姿は、ナポレオンという人物への見方を変える発見でした。
もちろん、一通の書簡だけで彼の人物像のすべてを語ることはできません。
それでも、歴史上の人物を知るには、残された名言だけでなく、その言葉が生まれた状況にも目を向ける必要があるのだと感じました。
「余の辞書に不可能の文字はない」
その言葉を次に耳にしたとき、1813年の戦場で、馬の食料を確保しようとしていた一人の指揮官の姿を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。
知っているはずの名言が、少し違って聞こえてくるかもしれません。
知ってるつもりを、もう一度。
参考資料・出典
- 『Correspondance de Napoléon Ier』第25巻、1813年7月9日、ルマロワ将軍宛書簡。書簡の内容は ナポレオン書簡の紹介・解説 も参照。
- L’Histoire en Citations ― Napoléon : « Ce n’est pas possible, m’écrivez-vous ; cela n’est pas français. »
- 山口県文書館「近代革命の時代・ナポレオン」 ― 『西国立志編』の解説と引用
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「余の辞書に不可能の文字はない」の出典調査
- コトバンク『故事成語を知る辞典』「予の辞書に不可能という言葉はない」
※1813年の書簡の日付については、書簡集などでは7月9日とされていますが、一部の日本語辞典には9月7日とする記載もあります。本記事では書簡集に基づく日付を採用しています。
※フランス語の引用は書簡に記録された表現を示し、日本語訳は文脈に沿った意訳です。
更新履歴
2026年11月3日|考察を追記
「調べて見えてきた、もう一つのナポレオン像」を追加しました。史料を調べたことで変化した、運営者自身のナポレオンに対する印象を記載しています。

