「鬼」と聞いて、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。
桃太郎では退治され、一寸法師では人々を襲い、節分では「鬼は外」と追い払われる――。私たちにとって鬼は、どこか「悪者」のイメージが強い存在です。
しかし、日本各地に残された伝承や信仰をたどってみると、鬼は必ずしも人間の敵ではありませんでした。
災いを退け、人々の無病息災や五穀豊穣を願う鬼。人々から迎え入れられ、幸福をもたらすと信じられてきた鬼。そして、仏と重ねられた鬼まで存在します。
では、私たちが知っている「悪い鬼」の姿は、鬼という存在の一面にすぎないのでしょうか。
今回は昔話の中では退治されることの多い「鬼」を、少し違った角度から見ていきます。
「鬼=悪者」というイメージはどこから来た?
鬼は昔から、人々が恐れる災いや疫病などと結びつけられてきました。
そのことを示すものの一つが、「追儺(ついな)」と呼ばれる行事です。
追儺は、疫病をもたらすと考えられた「疫鬼(えきき)」を追い払うための行事で、中国から日本へ伝わり、平安時代には宮中でも行われていました。
現在の節分で「鬼は外、福は内」と豆をまく習慣にも、災いを外へ追い払うという考え方を見ることができます。
また、昔話や伝説の世界でも、鬼は人々を襲ったり、恐ろしい力を持った存在として描かれてきました。桃太郎に登場する鬼たちは、その分かりやすい例でしょう。
こうした「災いをもたらす存在」「人間に害を与える存在」というイメージが重なり、現在の私たちにも「鬼=悪者」という印象が強く残っていると考えられます。
しかし、日本で語られてきた鬼は、それだけではありません。
同じ「鬼」と呼ばれながら、まったく違う役割を持つ存在も各地に伝えられているのです。
日本の鬼は一種類ではなかった
昔の人々にとって、鬼は単なる昔話の悪役ではありませんでした。
病気や災害など、人の力ではどうすることもできない出来事の背後には、人ならざる存在の力があると考えられることがありました。
国立歴史民俗博物館によると、前近代には疫病を「鬼」に代表される恐ろしい存在が外界から運んでくると考える一方で、同じ外界から幸福をもたらす神霊が訪れるとも信じられていました。
つまり、人間の世界の外からやって来る存在が、必ずしも「悪」だったわけではありません。
さらに、鬼や神霊の姿・イメージは全国で一様だったわけでもなく、地域や時代によってさまざまです。そこには仏教や中国の民俗文化などの影響も加わり、日本各地で異なる信仰や伝承が形づくられていきました。
私たちが現在思い浮かべる「怖い顔をした悪い鬼」は、長い歴史の中で生まれた鬼の姿の一つだったのです。
そして日本には、鬼を追い払うどころか――
人々が鬼の訪れを待ち、幸福を願う地域まで残っています。
鬼を追い払わない? 人々に幸福を運ぶ「くにさきの鬼」
「鬼は外」。
節分では、鬼は家の外へ追い払う存在です。
ところが大分県の国東半島には、それとはまったく違う鬼の文化が残されています。
国東半島で受け継がれてきた「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」では、鬼に扮した僧侶たちが松明を持って舞い、人々の無病息災や五穀豊穣などを祈ります。
その姿だけを見れば、私たちが想像する「恐ろしい鬼」そのものです。
しかし、ここでの鬼は人々を苦しめる存在ではありません。

松明の火の粉を浴びたり、松明で背中や尻を打つ「御加持」を受けたりすることで、災いが払われ、無病息災や五穀豊穣などの福がもたらされると信じられてきました。
つまり国東の鬼は、追い払われる側ではなく、災いを追い払い、人々に幸福を届ける側なのです。
さらに岩戸寺や成仏寺では、寺での行事を終えた鬼たちが集落へ繰り出します。
そこで人々は鬼から逃げるのではなく、鬼を自宅へ招き入れてもてなしてきました。
鬼と人が酒を酌み交わし、年に一度の訪れを楽しみに待つ――。
「鬼=人間の敵」というイメージから考えると、不思議な光景かもしれません。
しかし国東では、鬼は恐れるだけの存在ではなく、人々の暮らしと深く結びついた、頼もしい存在として受け継がれてきたのです。
鬼が「仏」になった? 不動明王と重ねられた鬼
国東の鬼には、さらに興味深い一面があります。
それは、鬼が「仏」と重ねられていったことです。
国東半島では古くから、険しい岩峰や洞穴に鬼が棲むという伝承が残されてきました。
その鬼は、ただ恐ろしいだけの存在ではありません。不思議な法力を持つ存在とも考えられ、僧侶たちは鬼が棲むとされた岩峰へ入り、洞穴を修行の場である「岩屋」として利用していきました。
やがて平安時代に密教文化が国東へ伝わると、こうした鬼のイメージは「不動明王」と重ねられるようになります。
両者には、興味深い共通点があります。
鬼が持つ「剣」は、不動明王が持つ宝剣と重なります。
そして修正鬼会で鬼が振るう松明の炎は、煩悩を焼き尽くすとされる不動明王の火焔光背を思わせます。

さらに、かつて鬼が棲むとされた岩屋には、不動明王がまつられている場所もあります。
恐ろしい力を持つ鬼と、人々を救う仏。
一見すると正反対にも思える二つの存在が、国東では少しずつ重なっていったのです。
そして現在、この地域に残る日本遺産のストーリーには、象徴的な名前が付けられています。
鬼を追い払い、退治するだけではなく、その力に祈り、人々を守る存在として受け入れてきた文化が、ここには残されています。
怖い姿=悪者ではない? 日本に残る「来訪神」
国東の鬼のように、「恐ろしい姿をしているのに、人々へ福をもたらす存在」は、ほかの地域にも見られます。
その代表的な例が、日本各地に伝わる「来訪神(らいほうしん)」です。
たとえば、秋田県男鹿半島に伝わる「男鹿のナマハゲ」。
恐ろしい仮面をつけ、「泣く子はいねが」と家々を訪れる姿から、鬼のような存在を想像する人も多いでしょう。
しかし、ナマハゲは単なる恐ろしい存在ではありません。
年の節目に人々のもとを訪れ、怠け者を戒めるとともに、人々へ祝福を与える「来訪神」として受け継がれてきました。
こうした文化は男鹿だけではありません。
鹿児島県の「甑島のトシドン」、石川県の「能登のアマメハギ」、沖縄県の「宮古島のパーントゥ」など、日本各地に異形の姿をした来訪神が伝えられています。
これらを含む10の行事は、「来訪神:仮面・仮装の神々」として、2018年にユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。
もちろん、ナマハゲなどの来訪神を、そのまま「鬼」と呼ぶことはできません。
しかし、ここから見えてくるのは、日本では「恐ろしい姿をしていること」と「悪い存在であること」が、必ずしも同じではなかったということです。
人々を驚かせ、戒め、ときには恐れられる。
それでも、その訪れを人々は受け入れ、幸や福を願ってきました。
国東の鬼と日本各地の来訪神。
両者は同じ存在ではありませんが、「怖い姿=悪者」と決めつけるだけでは見えてこない、日本の信仰文化の一面を伝えてくれます。
鬼は本当に「悪」だったのか?
ここまで見てきたように、日本で語り継がれてきた鬼を、単純に「悪者」の一言で説明することはできません。
疫病や災いをもたらすものとして恐れられ、追い払われる鬼がいる。
昔話や伝説の中で、人々を襲い、英雄に退治される鬼もいる。
その一方で、国東半島には災厄を払い、人々に幸福をもたらすと信じられてきた鬼がいます。
さらにその鬼は仏教文化と結びつき、不動明王と重ねられる存在にまでなりました。
日本各地に残る来訪神の文化に目を向けても、恐ろしい姿をした存在が必ずしも「悪」を意味するわけではありません。
では、鬼とはいったい何だったのでしょうか。
その答えを一つに決めることは難しいでしょう。
時代や地域、信仰によって、人々が鬼に託してきた意味は変化してきました。
恐怖の象徴であり、ときには災いそのもの。
しかし同時に、人間にはない強大な力を持ち、その力によって災いを退け、福をもたらしてくれる存在でもあったのです。
昔話だけを読んでいると、鬼は「退治される悪役」に見えるかもしれません。
けれども、その背景にある伝承や信仰までたどってみると、そこには「善」と「悪」だけでは分けられない、もう一つの鬼の姿が見えてきます。
私たちが知っている鬼は、長い歴史の中で語られてきた「鬼」という存在の、一つの顔にすぎないのかもしれません。
次回は――「鬼はなぜ角を生やし、虎柄を身につけているのか?」
では、私たちがよく知る「角を生やし、虎柄を身につけた鬼」の姿は、いったいどこから生まれたのでしょうか。
次回は、鬼の角と虎柄に隠された由来をたどります。
参考資料・出典

